「仕事」におけるフレームワークとソース嫁的文化について
いわゆる仕事上でのフレームワークっておおよそ丁寧なドキュメントがあり、
それほど細部まで知らなくてもある程度使えてしまい、フレームワーク自体が「枯れて」いて十分に実証があるってのが大事な点だと思われる。
一方でソースを読まざるを得ないだとかってのは「枯れて」無い証拠で、これから切り開かねばならないって事なんでしょう。
これこそオープンソースの醍醐味ではあるけど、世の中面白いテクノロジーであふれてるなか、全てのソースコードに目を通していくなんて当然出来る訳も無い訳で、当然「枯らす」為に有志でそのテクノロジーを便利にしていかねばならない。
仕事としてソース嫁ってのは時に行き過ぎだとしても、そのテクノロジーに寄与する一環のつもりでのソース嫁なら少し矛盾してるように思えるフレームワークの本質とソース嫁ってのに納得が行くんじゃないかなと思ってみた。
最もソース読むの好きですけど。
如何せんソース読んでるだけで給料稼げるならそんなに嬉しい職業無いですよね。w